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『この国のかたち』を考える

 過去の歴史を書き換えることはできても、過去の事実そのものを変えることはできない。しかし、人は今に生き、未来を創造できる。
 このコーナーでは、憲法や行政法の基礎知識を前提に、将来の日本を担うであろう人たちと一緒に「この国のかたち」を考えてみたい。

衆議院の解散に大義が必要か?
―衆議院の解散に限界があるか?―

(2026/2/11)
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はじめに

 高市内閣総理大臣は令和8年1月23日(金)に衆議院を解散した。

 この解散については、「大義なき解散だ!」とか、「なぜ今の時期に?」という批判や疑問がある一方で、「衆議院の解散は総理(内閣総理大臣)の専権事項だ」とか、「今の時期に解散するのには十分な合理的な理由がある」という反論もあった。

 今回の解散が、大義なき解散か、今の時期に解散するのには合理的理由があるか、という点の是非については後半で論じるとして、まず、今回は、そもそも「衆議院の解散に大義が必要か?」、言い換えると「衆議院の解散に限界があるか?」について、検討する。

 答えは、「衆議院の解散に大義が必要である」(又は「衆議院の解散に限界がある」)とする立場が通説であるが、「衆議院の解散には(憲法上)大義は必要ではない」(又は「衆議院の解散に限界がない」)とする立場も有力である。

「衆議院の解散に限界がある」とする立場(通説)

 衆議院の解散については、憲法69条の場合の他に7条に基づいて内閣が衆議院を解散できるという説が通説である(憲法慣習でもある)ということは前回、指摘した。

 また、衆議院の解散は69条解散に限定されるとする69条限定説もあるが、主権者である国民の意思が国会を通じて内閣に反映される機会が著しく限定されるので、7条解散を認めるとする7条説が通説であるということも前回、指摘した。

 問題は、7条説(通説)に拠るとしても、衆議院の解散に限界があるかどうか、であるが、この点については見解が分かれる。

 通説は、衆議院の解散に限界を認める。

 通説の中でも代表的な見解は、「解散は、69条の場合を除けば、①衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算等)が否決され、または審議未了になった場合、②政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合、③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合、④内閣が基本政策を根本的に変更する場合、⑤議員の任期満了時期が接近している場合、などに限られると解すべきであり、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当であるとしている(芦部信喜(東京大学名誉教授)『憲法 第八版』p360)。

 この見解によれば、「衆議院の解散に大義が必要である」という結論になる

「衆議院の解散に限界がない」とする立場(有力説)

 しかし、憲法70条を重視し、衆議院の解散には限界がないとする説も有力である(大石眞(京都大学名誉教授)『憲法講義Ⅰ』等)。

 この説は、憲法66条3項の解釈において、内閣は国会に対して直接責任を負うが、究極的には主権者である国民に対しても責任を負うという点を強調する。そして、憲法70条は、現政権が解散に続く総選挙で勝利をおさめた場合でも、その後「初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない」としている(注:この点で、イギリスの議院内閣制と異なるとする)が、これは、解散は、それに続く総選挙で示された民意に依拠する形で内閣を選出することを狙ったものであり、憲法70条は、国民と内閣との直線的連結を憲法上制度化したものである(「民主主義モデル」)としている(注:この説は、衆議院の解散に限界があるとする説を「権力分立モデル」と呼んでいる)。

 翻訳すると、主権者である国民は、選挙によって国会議員を選び、国会議員で組織される国会は内閣総理大臣を指名(注:任命するのは天皇。国事行為である)し、内閣総理大臣は国務大臣を任命(注:罷免もできる)し、内閣総理大臣と国務大臣から組織される内閣は行政各部を指揮監督する(注:国家公務員の任命権と罷免権は各省大臣にある。これによって国民主権が貫徹される)とする。

 この説によれば、衆議院の解散には限界がないという結論になる。

最後に

 では、今回の解散は、各説からすると、どのように評価されるか?

 

 まず、衆議院の解散には限界があるとする通説からはどうか?

 前回の解散は自民党と公明党の連立政権(石破内閣)の下で行われている。その後、高市早苗氏が自民党総裁となり、公明党が与党から離脱し、自民党は維新と連立を組み、高市早苗氏が国会で内閣総理大臣の指名と天皇の任命を受け、高市内閣が発足した。その高市内閣は石破内閣の緊縮財政から「責任ある積極財政」に舵を切った。また、中国との関係も、経済重視から、安全保障重視となった。

 その意味で、今回の解散は、解散に限界があるとする見解(芦部『憲法』)の「②政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合」に該当すると思われる。

 また、外交においては強い政権基盤が必要であるところ、高市内閣(注:少数与党で政権基盤が弱い)になり、日中関係が悪化する中で、アメリカの今後の動向が、今後の日米関係や台湾有事の場合の日米台の行動などに微妙な影響を及ぼす可能性がある(注:その意味で、4月の米中首脳会談前の3月の日米首脳会談が非常に重要であると思われる)ので、今回の解散は「③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合」に該当する可能性も高い。

 したがって、通説に拠っても、今回の解散には大義があるということになろう。

 

 では、衆議院の解散には限界がないとする立場からはどうか?

 この立場に拠れば、当然に、今回の解散においても、解散権に限界はない(仮に限界があるとしても、限界を越えたかどうかは、主権者である国民が判断するのだから、特に問題とする必要はない)ということになる。

 今回の解散において、大義なき解散か、今の時期に解散するのには合理的理由があるか、について、今回の解散に批判的な政治家・評論家・ジャーナリストなどから問題提起もされた。しかし、この説に拠れば、判断するのは最終的には、主権者である国民である(選挙によって決せられるべきだ)ということになる(*)。

(*)追記

 衆議院の解散に限界があるとする通説は、「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」とする(芦部『憲法 第八版』p360)。

 しかし、衆議院の解散は、そもそも「内閣の一方的な都合や党略で行われる」ものである(注:与党が負けそうな時に内閣が衆議院の解散を行うわけがなく、「党利党略」と「天下国家のために」又は「国民のために」は両立しうる性質のものである)。また、「不当である」としても、衆議院の解散は高度に政治的な問題で統治行為として司法審査が及ばない(当否は主権者である国民が選挙で判断する)とするのが通説である(芦部『憲法 第八版』p368)から、あまり意味のある主張ではない。最終的には、主権者である国民が選挙で、衆議院の解散の当否を判断するのであるから、(少なくとも憲法上は)衆議院の解散に限界がないとする「民主主義モデル」が妥当ではないかと思う。

<参考> 憲法

〔天皇の国事行為〕
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
(一~二 略)
三 衆議院を解散すること。
(四~十 略)

第66条
(① ~② 略)
③ 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ

〔不信任決議と解散又は総辞職〕
第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

第70条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない

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