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私の教育論
2002年学習指導要領と中学受験(2) (2001/2/24)
   今年の中学受験もほとんど終了した。不況にも関わらず、私立中学の人気は高まるばかりである。他方、国立大学の付属中学の人気が低下しているようである。一番人気の筑波大学付属駒場中学(筑駒)も今年は抽選なしで受験できたという。これは前代未聞のことである。関係者でささやかれているのは、学習内容3割削減の2002年学習指導要領の影響である。国立である以上、文部科学省の方針は無視できない。隠れキリシタンならぬ隠れ補習をしなければ、大学受験でこれまでの実績を維持することは難しい。その辺の事情を見越して、開成中学とのダブル合格者も、「今までだったら筑駒だったが、今年は開成に行く」というケースが増えると予想される。国立大学の独立行政法人化の問題もあり、国立大学の付属中学にとっても受難の時を迎えたといえよう。
 しかし、町村信孝文部科学大臣は、「社会が求めているのは学歴でなく実力。学歴をつけるためだけに、子どもを塾通いさせるのはおかしい。親が変わらないといけない」(2001年2月19日「朝日新聞」)と述べている。しかし、そうではない。もちろん、例外は幾つもあるが、学歴と実力は強い相関関係にある。また、就職に際し、学歴を度外視して、実力を正当に評価することができる人事担当者は極めて少ない。学歴に加えて実力が必要であることは、就職活動で苦労している学生なら誰でも知っている。親も学歴だけでなく、将来自立するに足りる実力を養うことが、もはや公立学校に期待できそうにもないからこそ、高額の月謝を払ってでも、泣く泣く塾に子どもを通わせているのである。
 もっとも、町村信孝文部科学大臣が2001年3月号『文藝春秋』で書かれているような現状認識には共鳴できる部分が少なくない。しかし、それが「ゆとりの教育」で解決できるとは到底考えられない。基本を徹底するには、繰り返しの反復練習や実験などが必要であるし、それには時間もかかる。また、基本を理解するためには、応用の練習も必要である。基本だけ教えれば、それで充分というわけではない。応用があって、基本も深く理解できるのである。一方で、40人学級を放置したまま、「自分の力で考えることができるようになれ」と言われても、それは虚しい。教育基本法の見直しについても、「ショック療法」とのことであるが、必要事項の追加改正で充分である。
 なにか今の「教育改革」とは、実際に子育てで苦労している親の実感とは全くかけ離れた机上の空論であって、文部科学省や大臣が「教育改革」を叫べば叫ぶ程、親の文部科学省に対する信頼がどんどん失われていくようでもある。幼稚園から大学まで現場で教育に日々腐心している人達の反対意見を全く聞かず、実際に子育て中のメンバーはほとんどいないように見受けられる「教育改革国民会議」を隠れ蓑に、一体文部科学省は、日本人をどこに導こうとしているのか?そもそも国民の将来を決するような重大事項を大臣の告示という形で実施してしまっていいのか?なぜ各政党は学習指導要領の改正とか30人学級の実現を国会で問題としないのか?そう考えると、一見暴論のように見える旧大蔵省の高官で慶応大学教授の榊原英資氏の「『ゆとり教育』で日本衰亡」(2001年3月号『文藝春秋』)のほうが、正論に思えてくる。
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