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私の教育論
親父の運動会(3) (2000/10/14)
 

 今年は、このテーマにつき特別書くこともないかと思っていた。しかし、直接あるいはメールで「今年はどうでしたか?」と聞く根強いファンが少なくないことがわかったので、あえてキーボードに向かった。

 長女と次女の通う小学校の運動会は雨天のため平日に順延された。おかげで、高橋尚子選手が力走し、金メダルをゲットするシーンをテレビでリアルタイムで観ることができた。後で「今、結婚するんだったら、高橋尚子のような素直な娘が絶対にいいな!」とスタッフに言ったら、「それは、コーチがいいからですよ……」と言い返された。
 ともあれ、翌日は月曜日ということで、親父の多くは出勤するので熾烈な場所取りはなかろうと、開会式に合わせて家を出た。ところが、やはり親父は偉大だった……。ママに言われて、出勤前に場所取りゲームを済ませていたようである。今年は、5列目あたりでもう後ろが1列ぐらいしかなかった。でも、適宜移動し、ビデオのズーム機能を使えば、別段前に座らなくても問題はなかった。今年は、そんなに暑くはなかったが、暑い時のことを考え、来年はフィールドからは離れてはいるが木陰で涼しい場所を取ろうと思った。親父が少なかったせいか、今一つ盛り上がりに欠けていた。5年生のクラス再編成の影響は全くなかったように見えた。

 長男が通う幼稚園の運動会でも、午前2時30分まで起きていたので場所取りはやらなかった。ここも5列目ぐらいでもう後がなかった。でも、移動には便利でかえってよかった。綱引きでは3連覇がかかっていた。しかし、集合場所に1人ママが混じっているのを見た時、半分戦意を喪失しかけた。でも、1回戦は勝つことができた。ここで、左足を綱で擦って3列にわたり擦り剥いてしまった。しかし、2回戦では負けてしまった。右側に回り込んだのは私1人だけで、綱が左に大きくぶれて力も分散してしまった。Y君のパパは「体が痛む」と後で言っていたようだが、私は違っていた。今年は、痛くないのである。夕方、都内で打ち合わせの仕事が残っていたとは言え、全力を出せなかった(出さなかった)ことには少し悔いが残った。
 最後の幼稚園の運動会もこれで終わりか……と思っていたら、悲劇が待っていた。仮装行列のメンバーが来ないのである。それで、私はロシアの娘の格好をさせられた。一昨年、リンゴ(どう見てもジャガイモにしか見えなかった)のぬいぐるみをかぶらされ、チビガキにはボコボコ殴られ、「もうこりごりだ!」と思っていたのにもかかわらずである。いくら子どものためとはいっても、高尚な美的感覚をもった私には耐えられない。嫌だ!嫌だ!と逃げていたが、妻がやむをえずI君のパパに頼むのを見て、私も最後の1人をやる覚悟を決めた。I君のママは正真正銘のロシア人で、女装したパパと一緒に仲良く愛嬌を振りまき踊りながらフィールドを一周し、「綺麗!綺麗!」と好評を博した。私は髪飾りを深く被って、誰にもばれないようにその前をニコリともせず、背中を少し丸めて黙々と歩いた。記念写真を撮り終え、衣装を脱ぎながら歩いていると、チビガキから心ない言葉が投げかけられた。「おかまー。おかまー」。私は、人から誹謗中傷されようと、人間の本当の価値は減ずるものではないと思ってはいるが……。
 この話には、続きがある。仮装行列に出場予定だったパパの1人は、前日夜遅く出張から帰ってきて、この日は綱引きと騎馬戦をキャンセルし、仮装行列に賭けていたという。綱引きにママが1人出ていた理由もわかった。仮装行列にはのんびり食事していて遅れたらしい。しかも、仮装行列に参加できなかったこと(呼びに来てくれなかったこと)を恨めしく思っていたようでもある(逆恨み?)。私は、綱引き3連覇に密かに賭けていたのである。しかも、仮装行列には絶対出たくもなかった。
 どうも、歯車がどこかで狂ったようである。いずれにしても、親父は大変疲れているのである……。

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